報道番組の最前線で活躍し続けてきた曺琴袖(チョウクンス)さん。
その経歴の裏には、ひとりの女性として、そして母としての選択や葛藤がたくさん詰まっています。
TBS情報制作局長に就任した今、彼女が歩んできた道をあらためてたどってみたいと思います。
- 曺琴袖のルーツと早稲田大学卒の経歴
- 外信部記者から局長までのキャリアの流れ
- 乳がんを経て変化した仕事観と人間関係
- 報道特集での調査報道とSNSでの反響
- 家族との関係や育児と両立する働き方
この記事では、曺琴袖という人物の経歴を通して、報道の現場で貫かれてきた信念と、人生における節目での決断を丁寧に解説していきます。
1 曺琴袖の今の仕事は?TBSで局長になった理由とその背景
引用元:スポニチ
1-1 「報道特集」の編集長から局長へ──異例の出世ルート
TBSの報道番組といえば、「報道特集」を思い浮かべる方も多いかもしれません。
2025年には、そのキャリアをさらに進めてTBSの情報制作局長に就任しました。
もともと報道のど真ん中で生きてきた彼女が、編成や制作全体を見渡すポジションに抜擢されるのは、なかなか異例のこと。
TBS内でも「報道畑の人がここまでいくのは珍しい」と言われているようです。
これは実力と信頼の積み重ねの証でもありますよね。
そしてこの出世、ただの社内人事ではありません。
報道記者としての厳しい現場経験、そしてディレクター・プロデューサー・管理職というステップを経て、すべての番組制作現場を知り尽くしているからこそ任される立場なんです。
本人がかつて語っていた「現場から学んだことを、若手に還元したい」という言葉は、局長という役職にもしっかりつながっているんじゃないかと思います。
1-2 SNSでも話題に!“#報道特集ありがとう”が生まれた背景
番組の調査報道に対して「よくここまでやってくれた」と感謝の声が相次いだんです。
その裏には、曺琴袖さんの覚悟ある編集方針がありました。
取材班が誹謗中傷を受けたり、実際に殺害予告が届くという事態まで発展したのに、それでも「事実を積み上げることをやめない」と突き進んだ彼女の姿勢。
そこに共感した視聴者が、自然とSNSで声をあげたわけですね。
このエピソードって、いわゆる“報道の信頼”が揺らぐ中で、どう信じてもらうかっていう問いへのひとつの答えだと思うんです。
派手さじゃなくて、信頼の積み重ね。曺さんのやり方は、そんな丁寧な積み上げ型です。
1-3 情報番組部門でどう変わった?現在の活動と注目企画
視聴者の「日常の中のニュース体験」をどう設計するか、そんな部分に責任を持っているわけです。
本人はかつて「報道でも情報番組でも、人の心に届くのは“伝え方の誠実さ”だと思う」と語っていて、その信念は今の仕事にも活かされているように感じます。
番組に“芯”を持たせることが、曺さんの得意分野。
これはもう、「ただの上司」じゃなくて、「番組全体の魂を預かる人」なんだな、という印象です。
2 曺琴袖のwiki経歴プロフィールとルーツ
引用元:日経xwoman
まずは基本情報を一覧にしておきますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 曺琴袖(ちょう・くんす) |
| 生年 | 1970年生まれ(2025年現在55歳) |
| 出身地 | 京都府 |
| 国籍 | 在日韓国人三世 |
| 最終学歴 | 早稲田大学 法学部卒 |
| 入社年 | 1995年にTBS入社 |
| 現職 | TBS情報制作局長 |
2-1 京都生まれ・在日韓国人三世としての人生
今でこそ「多文化」という言葉も日常に浸透してきましたが、当時はまだそういった考え方が一般的とは言えない時代。
学校や社会のなかで、自分のルーツと向き合いながら育つのは決して簡単なことじゃなかったはずです。
でも彼女は、そのバックグラウンドを「報道という仕事に必要な視点」だと捉えています。
物事をひとつの立場だけで見ない力、多角的に捉える感性――それが曺琴袖という人の“報道スタイル”の根っこになっているんです。
2-2 名前の読み方と由来にも注目
「曺琴袖(ちょう・くんす)」という名前、ニュースで見かけて「あれ? なんて読むの?」と思った方もいるかもしれません。チョウ・クンスと読みます。
少し珍しい名前ですが、これは韓国系の名前と日本語の表記が合わさったもの。
在日韓国人の方の名前には、こうした独特の表記が多いんですよね。
ちなみに、報道業界に入る前からこの名前で活動されていて、隠すことも、変えることもせず、“そのままの自分”で勝負してきた姿勢にも芯の強さを感じます。
2-3 早稲田法学部卒、報道キャリアへの第一歩
言わずと知れた名門ですよね。
でも「法曹界」ではなく、報道の道を選んだというところに、すでに曺さんらしさがにじみ出ています。
1995年、TBSに入社。
この数字からも、いかに狭き門だったかがわかります。
彼女はそのなかで外信部に配属され、いきなり国際ニュースの現場へ。
まさに「報道の最前線」でキャリアをスタートさせたわけです。
そこから30年近く、報道に向き合い続けてきた。
その一歩目がすでに、ドラマチックなんですよね。
3 曺琴袖の華麗なるキャリア年表|30年の軌跡を一気に見る
引用元:毎日新聞
3-1 TBS入社〜外信部記者として国際ニュースを駆け巡る
曺琴袖さんがTBSに入社したのは1995年、ちょうど日本の報道界も激動の時代に差しかかっていたころです。
当時のTBS新入社員42人のうち、報道局に配属されたのはたったの4人。
最初から国際ニュースの担当ですから、いきなり“世界”を相手にする舞台。
地球の裏側で何が起きているのかを、日本の視聴者に正確に伝える――そんなプレッシャーの中で彼女は記者としての基礎を身につけていきます。
ニュースの表と裏、そして“報じないことの重さ”まで体感するような日々だったそうです。
3-2 ニューヨーク支局での経験がもたらしたもの
アメリカといえば、メディアの自由度も取材環境も日本とはまったく違う世界。
現地での生活はもちろん、取材スタイルにも大きなカルチャーショックがあったといいます。
「答えを聞くより、問いをどう掘り下げるか」。
アメリカの報道現場では、そんな姿勢が当たり前だったそうです。
曺さんはその現地取材を通じて、より深く多面的に物事を見る感覚を養っていきました。
このニューヨーク時代が、後の「報道特集」での仕事に大きな影響を与えたことは間違いありません。
3-3 情報番組への異動と母としての選択
その後、娘が小学校に上がるタイミングで、報道局から編成局編成部へ異動願いを出します。
いわゆる“バリキャリ”のど真ん中にいた彼女が、あえてライフスタイルに合わせた働き方を選んだわけです。
この時期は、「あさチャン!」や「ひるおび!」といった情報番組のプロデューサーを務め、約20人のチームをまとめ上げていました。
報道とはまた違う、“日常に寄り添う番組づくり”の世界。
曺さんはここでも新しいスキルを身につけていきます。
家庭と仕事のバランスって、本当に難しい。
でも彼女は「どちらかを諦める」んじゃなくて、「どちらにもちゃんと向き合う」ことを選んできたんです。
仕事上のロールモデルはいなかったものの、社内には、同じ立場で奮闘する女性社員がいました。現場に後ろ髪を引かれながら、部署異動を余儀なくされた先輩も大勢います。そうした人たちと経験談や悩み、情報を分かち合っていく中で、私が出した結論は、保育園のときは人にお任せして、小学生になってからは、母親が「おかえり」と家で迎えられる状態をつくろうということ。
そう考えて、子どもが小学校に上がるタイミングで異動願いを出し、情報制作局で情報番組担当になりました。
引用元:日経xwoman
3-4 編集長として挑んだ「伝える覚悟」
2019年、再び報道局に復帰。
ここからが彼女の“勝負どころ”とも言える時期。
兵庫県知事選をめぐる報道や、統一教会関連の取材など、社会の中枢に切り込む特集を次々と手がけました。
特に注目されたのが、知事選キャンペーン報道。
鋭い切り口で事実を追いながらも、視聴者の信頼を損なわないトーンで届ける。
その絶妙なバランスは、「伝える覚悟」と「編集の妙」が合わさった結果なんです。
この時、誹謗中傷や殺害予告すら届いたそうですが、彼女はぶれることなく取材を続けました。
報道って、ただニュースを並べるだけじゃない。
“真実を伝える”って、こういうことなんだと思わされる出来事でした。
3-5 2025年、情報制作局長に就任するまで
報道現場一筋だったキャリアから、ついに“局全体の方針を決める立場”へ。
情報番組全体を統括するこの役職は、単なる出世ではなく、番組の未来を託される重要なポジションです。
これまでの現場経験や取材哲学が、今度は後進の育成や番組編成の方針に活かされていく。
報道と情報のあいだにある“グレーゾーン”をどう設計するか――彼女にしかできない挑戦が、いよいよ本格化しています。
4 曺琴袖の家族構成は夫と娘の3人
引用元:Yahooニュース
4-1 夫は元プロサッカー選手・曺貴裁(チョウ・キジェ)
日立製作所、浦和レッズ、ヴィッセル神戸などでプレーし、引退後は湘南ベルマーレ、京都サンガF.C.などで監督を務めてきました。
現在は流通経済大学のサッカー部コーチとして、若手育成に力を入れています。
2019年にパワーハラスメント問題で注目される場面もありましたが、本人の指導力やカリスマ性に惹かれる選手も多く、今もサッカー界に必要とされる存在です。
異なる業界ながら、現場に根ざした仕事をしてきたという意味で、夫婦で“プロの現場”を支え合っているように感じます。
4-2 娘は現在18歳、母としての顔も
学生生活の詳細は公開されていませんが、2021年時点では中学に通っていたことが明らかになっています。
大学受験を終えたころ、もしくは大学生活が始まったタイミングかもしれません。
曺さん自身が“母”としての一面について語ることは少ないですが、仕事とのバランスを考えて異動願いを出したり、勤務形態を見直すなど、家族への配慮が随所に見られます。
表には出てこなくても、その根底には「子どもとの時間を大切にしたい」という想いがあるのでしょう。
4-3 キャリアの節目で見せた家族への決断とは
曺琴袖さんのキャリアは、あくまで“自分らしく働く”という軸で貫かれています。
でもその裏には、家族との時間をどう確保するか、どこでペースを調整するかといった、細やかな判断の連続があったことがわかります。
特に娘さんの小学校入学のタイミングで異動を選んだこと。
それは“キャリアを中断した”というよりも、“家族と仕事、どちらにも誠実でいようとした”結果です。
その選択の積み重ねが、今のポジションへとつながっているのかもしれません。
家庭に重きを置くタイミングと、全力で仕事に取り組むタイミング。
そのバランス感覚が、曺琴袖さんという人物の大きな魅力でもあると思います。
5 曺琴袖を支えた逆境|乳がんと向き合った日々
引用元:https://gendai.media
5-1 病気と仕事を両立したリアルなエピソード
曺琴袖さんのキャリアには、実は表に出てこない“戦い”もありました。
メディアの最前線で働く中、病気が発覚したとき、仕事を続けるか休むか、大きな岐路に立たされたといいます。
治療の合間にも仕事に戻り、番組制作の現場を離れずにいた曺さん。
通常なら休職を選ぶ人も多い中で、「日常を失わずにいたい」という想いが強かったそうです。
抗がん剤治療の副作用を抱えながらの出勤もあったとか。
5-2 がん経験がもたらした人間関係の変化
病気という現実と向き合うと、人との距離感や信頼のあり方がガラッと変わることがありますよね。
曺さんにとってもそれは同じで、がんを経験したことで、周囲の人の「気づかい」や「見えない優しさ」に何度も助けられたと語っています。
それまでは気を張って仕事に没頭するタイプだった彼女も、この経験をきっかけに少し肩の力を抜いて、人に頼ることを覚えたそうです。
人の弱さを知ったからこそ、強さの意味も深く理解できるようになった。
そんな変化が、彼女のその後のマネジメントスタイルにも色濃く出ているように感じます。
5-3 管理職として部下に見せる“優しさ”の背景
曺さんがプロデューサー、そして編集長、局長とキャリアを重ねていく中で、特に評価されているのが“部下との接し方”です。
よくある「上から目線の指示」ではなく、現場に耳を傾け、チームの悩みに寄り添う姿勢が印象的だと言われています。
この柔らかさ、実は乳がんという逆境が生んだものでもあるんですね。
「人はいつも100%の状態ではいられない。それでも一緒にやっていこうと思える関係が大事」と話す彼女の言葉には、リアルな重みがあります。
6 曺琴袖がこだわる報道姿勢とは
6-1 調査報道への執念──兵庫県知事選キャンペーンの舞台裏
「報道特集」の編集長時代に手がけた特集の中でも、兵庫県知事選キャンペーン報道はひときわ印象深いものでした。
表面的な事実ではなく、背景にある人間関係、政治的圧力、市民の声——そういった“見えにくい構造”を粘り強く掘り下げた取材でした。
実際、取材班はSNSで誹謗中傷を受け、匿名の嫌がらせも多かったといいます。
それでも曺さんは「放送に耐えられるだけの裏付けがあるなら、やるべき」と判断し、放送を決断。
放送後、X(旧Twitter)では「#報道特集ありがとう」がトレンド入りし、多くの人がその報道姿勢に共感を寄せました。
6-2 “批判覚悟”で事実を積み上げるプロ意識
曺琴袖さんの報道姿勢には、派手さや感情の押し売りがありません。
事実をひとつずつ積み上げていく、まるで職人のようなスタイル。
それでいて、放送を観た視聴者には「すごく刺さる」と言われるのは、やっぱり“見せ方”に誠実さがあるからなんだと思います。
「正しいかどうかより、“真実に近づこうとする意志”があるかどうかを大事にしたい」。
この言葉に、彼女の報道への信念がすべて詰まっています。
誰かを驚かせるためでも、アクセス数を稼ぐためでもなく、「社会にとって必要かどうか」で判断する——そんな姿勢に、多くの現場スタッフが信頼を寄せているそうです。
6-3 女性リーダーとして報道現場に残した足跡
報道の世界、とくに管理職の領域では、まだまだ男性が多数派というのが現実です。
そんな中で、曺琴袖さんは報道特集の編集長を5年務めあげた女性リーダーとして、その存在感をしっかり刻みました。
自分の価値観を押しつけることなく、でもブレることなく“信じた方向”へチームを導いていく。
そのスタイルは、「こんな上司になりたい」と思わせるものだったそうです。
特に若い女性スタッフの間では、“あんなふうに働けるようになりたい”という憧れの声も増えているとか。
7 曺琴袖の魅力を読み解く3つの視点【考察】
7-1 「多文化ジャーナリズム」を体現する存在
京都生まれの在日韓国人三世という背景を持つ曺琴袖さん。
その視点は、日本社会の主流だけでは語れない“もうひとつの声”に敏感です。
多文化社会とメディアの関係が問われる今、彼女のように「自分のルーツを隠さず、そこから視野を広げてきた人」は、メディアにとって貴重な存在だと感じます。
単なる「ニュースの読み手」ではなく、「社会の声をすくい上げる伝え手」としての自覚。
それが、曺さんのジャーナリズムの根っこにあります。
7-2 働く女性のロールモデルになり得る理由
出産、子育て、病気、そしてキャリアの転機——そのどれもを“諦めることなく通り抜けてきた”のが曺琴袖さんです。
どこかで全力、どこかで調整。そうやって“長く走り続ける”ためのバランスを自分で見つけてきた。
それが多くの働く女性にとって、現実的でリアルな希望になっているんです。
7-3 今後メディア界で彼女が果たすべき役割とは
現在はTBS情報制作局長として、番組制作全体を統括する立場にいる曺琴袖さん。
これからの時代、彼女のように“現場も知り、マネジメントもできる人材”が、メディアの信頼をつなぐ存在になるはずです。
視聴者の目線、社会への責任、現場の声。
この三つをバランスよくつなげるスキルこそが、メディアにとって必要な“編集力”。
曺さんがそれを体現している限り、彼女の活躍の舞台は、まだまだ広がっていくことでしょう。




