NHKドラマ「ブギウギ」で茨田りつ子役のモデルとなっている淡谷のり子さん。
「ブルースの女王」として有名ですが1999年に92歳で亡くなっておられ、淡谷のり子さんをご存じの方も少ないのではないでしょうか?
この記事では淡谷のり子さんの若い頃の画像や、「ブギウギ」の主人公モデルの笠置シヅ子さんとどのような関係性だったのかを調べてみました。
淡谷のり子のプロフィール・経歴
プロフィール
- 本名:淡谷 規(あわや のり)
- 芸名:淡谷のり子
- 別名:霧島のぶ子、淡谷のり子とその楽団
- 生年月日:1907年8月12日
- 出身地:青森県青森市
- 死没:1999年9月22日(92歳没)
- ジャンル:シャンソン、流行歌、ポップス
- レーベル:コロンビア、ビクター、テイチク
経歴
淡谷のり子さんは青森県一の大きな老舗呉服屋の長女として生まれました。
子供の頃はいつも読書をしたり、詩を書く文学少女だったそうです。
1910年の青森大火で実家が丸焼けになってしまったことから破産。
そして父親が荒れ浮気などから両親が離婚することとなり、淡谷さんは高等女学校を中退し、母親と妹と東京で暮らすことになりました。
東京で音楽好きの母の勧めで東洋音楽学校ピアノ科に入学し、その歌声を聞いた教師によって声楽科に編入することとなり、オペラ歌手を目指すようになります。
昭和4年に首席で卒業し、同年春の「オール日本新人演奏会」で歌い“十年に一度のソプラノ”と言われ注目されます。
その後はクラシック歌手として活動していきますが、経済的に生活が苦しくなりレコードデビューして流行歌を歌うこととなりました。
古賀政男作曲の「私この頃憂鬱よ」がヒットするのと並行して、シャンソンやラテンなどを日本語で歌う歌手としてもたくさんの曲を収録し、その先駆けとなっています。
その後
・1938年に「雨のブルース」
この2曲のブルースが大ヒットします。
そのことから
「ブルースの女王」
と呼ばれました。
晩年はものまね番組の審査員としてバラエティに出演し、清水アキラなどのものまねに激辛のコメントを発し注目されていました。
1999年9月22日、92歳で永眠されています。
【画像10選】淡谷のり子の若い頃はブス?自覚していた
淡谷のり子さんは、戦時中に憲兵に化粧をしてはいけないと言われ
「ブサイクなのに」
淡谷のり子と笠置シヅ子との関係性はライバル?
「ブギウギ」では主人公のすず子とりつ子はお互いが良きライバルとして競い合う関係に描かれています。
実際はどうだったのでしょうか?
淡谷のり子さんはオペラ歌手出身なので、声を出すときに飛び跳ねたりすることはなかったのではないかと思います。
それに対して笠置シヅ子さんは踊って歌うタイプの歌手だったので淡谷さんには騒々しいパフォーマンスに感じたのかもしれません。
なので笠置シヅ子さんに対して厳しい批評を下すこともあったそうです。
そして二人とも服部良一さんに師事していたので、ライバルの関係性だったと言えますね。
またライバルであるとともに友人でもあったようです。
淡谷のり子さんが笠置シヅ子のお宅に遊びに行ったときに笠置さんの娘さんに