28歳という若さでこの世を去ったプロボクサー、神足茂利(こうたり・しげとし)。
東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチ直後に倒れ、死因は急性硬膜下血腫と発表されました。
リングでの熱い戦いの数時間後に訪れた突然の別れは、多くの人の胸を締め付けました。
本記事では、神足茂利の軌跡や人柄、そして死因に至るまでの経緯を詳しくお伝えします。
- タイトルマッチ直後に何が起きたのか
- 神足茂利のアマ・プロ通算の戦績と経歴
- 家族や仲間が語る人柄とエピソード
- ボクシング界が抱える安全面での課題
彼が残した功績と教訓を通して、リングの魅力と影にある現実を見つめます。
1. 神足茂利の死因は急性硬膜下血腫…最後の試合と壮絶な最期
引用元:Yahoo!ニュース
1-1 タイトルマッチ直後に襲った悲劇
2025年8月2日、東京・後楽園ホール。
東洋太平洋スーパーフェザー級タイトルマッチで、神足茂利選手は王者・波田大和選手と12ラウンドの死闘を繰り広げました。
判定は三者三様の引き分け。
王座には届かなかったものの、全力を出し切った姿は観客の胸を打ちました。
ところが、控え室に戻った神足選手の体に異変が。
試合後は自力で歩いて戻り、仲間と言葉も交わしていたのに、医務室で意識を失い、そのまま救急搬送。
診断は急性硬膜下血腫。
命に関わる非常事態が、ほんの数分で訪れた瞬間でした。
1-2 急性硬膜下血腫の症状と危険性
症状は、頭痛や吐き気から始まり、意識障害や昏睡に至ることもあります。
ボクシングのように頭部への打撃が避けられない競技では、ごく稀でも命を奪う事故につながります。
恐ろしいのは、発症のタイミングが予測できないこと。
試合直後に平気そうに見えても、時間差で症状が悪化するケースがあるのです。
1-3 手術後も戻らなかった意識の真相
搬送後、神足選手はすぐに開頭手術を受けました。
それも一度ではなく二度。
医療スタッフは必死に命をつなぎとめようとしましたが、意識が戻ることはありませんでした。
ほんの数日前までリングで戦っていた姿が目に浮かぶだけに、その現実はあまりにも重く、残酷でした。
2. 神足茂利の経歴とプロフィール完全ガイド
引用元:https://boxmob.jp
2-1 アマチュア73戦の輝かしい戦歴
神足選手は、アマチュア時代から将来を嘱望される実力派でした。
戦績は73戦50勝(うち5RSC)23敗。
全国選抜大会で3位に輝いた経験もあり、鋭い右の攻撃力と粘り強さで知られていました。
高校時代から着実に力をつけ、日本大学に進学後もボクシング部の主力として活躍。
その頃から「プロになれば必ず上まで行く」と周囲が口を揃える存在だったのです。
2-2 プロデビューから東洋太平洋王座挑戦まで
初戦は2回TKO勝ちで華々しくスタートを切りました。
その後も持ち前の攻撃力とテクニックを武器に、8勝(5KO)2敗2分けという好成績を残します。
そして迎えた2025年8月2日、初めての東洋太平洋王座挑戦。
結果は惜しくも引き分けとなり、夢のベルトにはあと一歩届きませんでしたが、そのファイトは会場中の拍手をさらいました。
2-3 憧れたボクサーと受け継いだ戦い方
華麗なテクニックと力強いパンチを融合させたスタイルに惹かれ、自分の戦い方にも取り入れていました。
試合前は銭湯やサウナで心身を整えるのが習慣で、リングに上がるときは常に集中力が研ぎ澄まされていたといいます。
技術だけでなく、試合への準備や精神面でも一流を目指していた姿勢が、多くのファンを惹きつけてやまなかったのです。
3. 神足茂利の学歴と青春エピソード
3-1 名古屋から日大ボクシング部エースへの道
幼い頃から運動神経が抜群で、高校時代にはすでに頭角を現していました。
卒業後は日本大学に進学し、ボクシング部に入部。
持ち前のセンスと努力で、あっという間に主力選手のひとりになりました。
全国大会のリングに何度も立ち、安定した戦績を残すその姿は、チームメイトだけでなく対戦相手からも一目置かれる存在だったそうです。
大学での生活は練習漬け。
朝はロードワーク、日中は授業、夕方からはミット打ちやスパーリングと、体力も精神力も鍛え上げられる日々でした。
3-2 スポーツ科学を学んだ努力家な素顔
学生時代の神足選手は、ただ強くなるだけでなく、「なぜ強くなるのか」を追求していました。
大学ではスポーツ科学や栄養学も学び、試合や減量に役立てていたのです。
体調管理のために食事内容を細かく記録したり、筋肉の回復を早めるためのストレッチ方法を研究したりと、細部までこだわっていました。
試合前は銭湯やサウナで心身を整えるのがルーティン。
リングに上がるときには、すでに全ての準備が整っているという自信が、そのファイトスタイルに表れていました。
4. 神足茂利を支えた家族と兄弟の絆
4-1 兄がSNSで発信し続けた回復への願い
神足選手には兄がいて、その存在は彼の人生において大きな支えでした。
兄は試合後の容体や経過をSNSで発信し、弟の回復を願うメッセージを何度も投稿していました。
「シゲが復活するまでのストーリーを投稿させてください」という言葉からは、家族としての深い愛情が伝わります。
病室での小さな変化や医師からの説明も欠かさず共有し、祈るような気持ちで過ごしていた日々が想像できます。
4-2 地元で慕われた人柄と家族の支え
神足選手は、地元の人たちから「礼儀正しく、努力家で、人を思いやる青年」として知られていました。
家族も試合会場に足を運び、全力で応援。
父は仕事の合間を縫ってサポートし、母は栄養バランスの取れた食事で体作りを支えました。
そんな温かい環境が、神足選手の人柄や強さの土台になっていたのは間違いありません。
5. 神足茂利のリング事故から学ぶボクシングの安全策
引用元:https://boxmob.jp
5-1 相次ぐリング禍の原因を探る
近年、国内のプロボクシング界では試合後に急性硬膜下血腫を発症するケースが続いています。
神足選手の場合も、試合直後は自力で歩いて控え室に戻っていたにもかかわらず、その後に意識を失いました。
このように、症状が時間差で出ることが多く、発見や対応の遅れが命を左右します。
原因としては、試合やスパーリングでの頭部打撃の蓄積、減量による体調変化、そして脳への負担が挙げられます。
特に長時間のラウンドでは後半に被弾が増える傾向があり、それがリスクを高める要因となっています。
5-2 命を守るために求められる改善策
選手の命を守るためには、試合後の迅速なメディカルチェックの徹底、異常がなくても一定時間は医療スタッフの監視下に置くことが必要です。
また、JBC(日本ボクシングコミッション)はすでにタイトルマッチのラウンド数短縮などを検討しており、こうした取り組みは事故防止に直結します。
さらに、日頃の練習段階で頭部への不要なダメージを減らす工夫や、救急搬送ルートの整備も欠かせません。
神足選手のケースは、ボクシングの魅力を損なわずに安全性を高めるための大きな教訓となりました。

6. 神足茂利への追悼メッセージとファンの想い
6-1 ライバルや仲間が語る神足茂利の強さ
試合で拳を交えた波田大和選手は「リングで共に闘えたことを誇りに思う」とコメントを残しました。
所属ジムの関係者は「最後まで強い心を持ち続けた選手だった」と、その闘志と人柄を称えています。
仲間の選手たちもSNSで次々とメッセージを投稿し、
「いつも笑顔で優しく接してくれた」
「練習でも妥協しない姿勢に刺激をもらった」
と、神足選手の人間性を語っています。
リング上だけでなく、日常でも信頼される存在だったことがわかります。
6-2 全国から届いた感謝と別れの言葉
訃報が伝えられると、全国のファンから追悼の声が殺到しました。
「最後まで諦めない姿をありがとう」「あなたの試合は一生忘れません」という言葉がSNSのタイムラインを埋め尽くし、会ったことのない人々の心にも確かな足跡を残したことを感じさせます。
地元・名古屋では、知人や友人が花を手向けに訪れる姿もあり、その影響力の大きさを物語っていました。
神足茂利という一人のボクサーが残した熱と記憶は、これからも多くの人の胸の中で生き続けていきます。


